21日に20歳となったフィギュアスケート女子で2018年グランプリファイナル覇者の紀平梨花(トヨタ自動車)が本紙の独占取材に応じ、節目の心境を激白した。ケガで全大会を欠場した昨シーズンの苦闘、スケート人生で最大の決断を下した瞬間の本音、出場がかなわなかった北京五輪への思い…。4年連続となるバースデーインタビューで「20歳の覚悟」を包み隠さずに語った。

 ――ついにお酒を飲める年齢になった

 紀平 自分が20歳なんて違和感しかないし、信じられないですね。お酒は飲んでみたいっていうより、飲んだら私はどうなるんだろうってすごく気になる(笑い)。顔が赤くなる派なのか、ならない派なのか…。

 ――紀平さんがお酒で豹変したら怖い

 紀平 ハハハ。たぶん、私は普段からテンションが高い時もあるので、飲んでもあまり変わらないとは思いますけど。でも(量は)徐々にしか飲めないと思います。アルコールティッシュのにおいをかぐだけでウエッてなるので(笑い)。

 ――昨季はケガで大変なシーズン

 紀平 もう、10~12月はずっとつらかった。右足首の奥が痛くて、行く病院によって疲労骨折と診断されたり、されなかったり。感覚的に骨折なんですが、そう信じたくない自分がいて、だから歩いて、また痛めての繰り返し。毎日のように「治らなかったらどうしよう」「もうオリンピックに間に合わない」と焦って、何千回も何万回も心の中で「ケガさえ治れば」って言っていました。

 ――年末の全日本選手権を棄権し、北京五輪出場が消えた

 紀平 本当にギリギリまで悩みました。「もし朝起きて治っていたら」と、最後まで奇跡を信じました。自分で棄権を選ぶのは「オリンピックに行きません」っていうこと。試合に出たい欲望とスケート人生をひっくるめ、何が正解かをいろんな方向から考えました。この決断の瞬間が一番つらかった。これ以上無理したら選手生命に関わると思って棄権を決めましたが、その後は気持ちが楽になりました。

 ――北京五輪に出た選手を見て悔しさは

 紀平 人を見てどうこうはなかったです。オリンピックとして見た時に「あー、自分が行けてたら」って思ったことはありましたけど。やっぱり人それぞれ人生があって、その瞬間を生きているし、私が経験したような苦労もあって出ている人もいるので、女子フリーとかも普通に「頑張れ」って応援していました。

 ――今回の試練でスケートの神様から何と言われている気がするか

 紀平 そうですね…。私って、失敗の経験をたくさん積まないとダメなタイプだと思うんです。感覚だけでパッてできたことはない。だから大失敗して、それを分析して、頭で考えて二度とそうならないようにする。勝った試合は全て考えた通りにでき、たまたま勝てた試合なんて一つもない。だから、神様は今回も私に強くなるための経験をくれたんだと思います。これが4年後(ミラノ・コルティナダンペッツォ五輪)へつながる運命って考えることはあります。

 ――そういえば「眠れない」という課題は

 紀平 これに関しては、むしろ考えると焦ってどんどん眠れなくなるので、考えないのが一番。眠れないツボにハマった期間は安眠できる曲を流したり、ヒツジを何匹も数えましたが、効きませんでした。時差ボケになると、何時に寝ても4時間後には起きてしまう。考えて分析することは得意なほうかなと思いますが、睡眠だけはその性格が裏目に出てしまうこともありますね。

 ――晩酌してみたら…

 紀平 アハハハ。お酒を飲むと眠くなるってみんな言いますよね。まだお酒をひと口も飲んだことないですが、この先、どうしようもなかったら、ちょっとやってみようと思います(笑い)。

 ――スケートをやめたいと思ったことは

 紀平 やめたいとは思わなかったけど、試合が続いたり、追い込まれた時は「スケートをやらなきゃいけない」と感じることが多かったです。でも、ケガの治療促進で姫路の坑道ラドン浴の洞窟「富栖の里」に行った時、がんの療養や闘病中の方に「いつも梨花ちゃんに勇気をもらっている。ありがとう。頑張って」と励ましてもらい、SNSでもたくさんの方からメッセージをいただき、試合に出ていないのに応援してくれる方がこんなにたくさんいるんだと改めて感じました。そういう方のおかげで、今はスケートを「やらなきゃ」ではなく「やりたい」って思えるようになりましたね。

【足首ケガ 8月中の完治目指す】紀平は現在のケガの具合について「完治には至ってなく、たまに痛みが出る」と言い、約2か月半も氷の上に立っていない。足首の負担が少ないスクワットや体幹トレーニングを行い、日本に滞在する8月中に完治させて練習拠点のカナダ行きを目指している。プログラムは昨季から引き続きショートプログラム(SP)「ザ・ファイア・ウィズイン」で一昨年に話題となった片手側転を取り入れ、映画「タイタニック」の世界観を描いたフリーでは4回転サルコーに挑戦する。

 ☆きひら・りか 2002年7月21日生まれ。兵庫・西宮市出身。5歳でスケートを始め、16年9月のジュニアGPシリーズで女子史上7人目のトリプルアクセルを成功させて優勝。“ポスト浅田真央”として注目され、シニアデビューの18―19年シーズンにGPファイナル初出場初優勝を含む国際大会6連勝と大躍進。19年に全日本選手権を初制覇し、20年の同大会で日本人女子2人目の4回転ジャンプ(サルコー)を成功させて2連覇を達成。姉はダンサーとして活躍中の萌絵さん。